宰相A
2012年に「共喰い」で芥川賞受賞した田中慎弥氏の作品。
書き出しは田中慎弥氏自身だと思われる作家Tが行き詰まった執筆活動の解消のため、亡き母の墓参りに行くという私小説風の話で始まります。
港で買ってきた生きた蛸のぬめりを取るために台所のコンクリートの流しで敵の体に塩を塗りたくり、表面を思い切りこすり上げて格闘し、あまりに力んだために母の心臓が止まってしまった時、私はまだ小学生だったが、母との十年足らずの生活ほど味が濃くて温かくてお腹いっぱいになる日々は、その後体験したことがない。
どこか強がって、カッコつけたこの文章に母への愛がたっぷり詰まっていて、話に引き込まれてしまいました。
母の墓に向かう電車の中で眠りについた作家T。夢の中では母との思い出が回想されます。そこでは、いかに作家Tが幼い頃から書くこと以外に取り柄がなく、書くためだけに生きてきたかが語られます。それが故に、傑出した書き手に違いないと示唆されます。この辺の書き方は巧みですね。
そんな回想シーンは母の墓があるO駅での目覚めと共に終了し、ここから話がぶっ飛びます。
なんと駅を降りるとそこは、アメリカ人が日本人として支配し、先住の日本人は旧日本人として、政府によって限られた居住区に追いやられた世界。戦争主義的世界的平和主義の精神を掲げ、横暴な反民主主義国家に対し、平和的民主主義的戦争を行っています。アメリカと共に。
そして、何故か本のタイトルでもある宰相Aは支配している日本国籍を得たアメリカ人からではなく、なぜか旧日本人から選ばれています。このモデルが安倍晋三総理。著者のインタビューによると、そこにヒトラーがミックスされているそうです。
迷い込んだパラレルワールドで作家Tは、英雄Jに似ていることから「再来だ」と、反政府体制のリーダーに祭り上げられます。そんなぶっ飛んだ展開に、さらに橋の上に停められた車の中での性描写が唐突に放り込まれたり、宰相Aの巨大な局部が人間的では無い何かを想像させたり、これでもかとエンターテイメント要素を追加投入してきます。それは、本当に書きたいことを目立たないようにオブラートで包んでいるかのようです。
それでも、安倍総理が口にする積極的平和主義を豪快に揶揄しているのは明らかです。
個人的にはこういったストーリーについては、良し悪しの判断はしません。そこには興味がありません。
興味を持ったのは田中慎弥氏の書く文章の独特のリズム。
後半の宰相Aが長々と語り、電流がバンバン流れる場面では、気圧の急激な変化によって耳が聞こえにくくなった時のように、頭の中がボーっとしていって、どこかにトリップしていくような感覚になりました。
田中氏はこれまでは純文学を書いているようなので、「言葉を並べ替えて面白いものを作る」著者の他の書籍も読んでみたいと思います。